RANDOM memorandums

Just a scrap of personal memorandums of my concerns.

ダレンシャンを再読・・Mr.Tall が味わい深い

年齢を重ねてから、ダレン・シャンを読んで、今回特に味わい深く思ったキャラが、Mr.Tallだ。


以下ネタバレ。


終盤Mr.Tallが亡くなる場面は、突然すぎるだとか、ご都合主義すぎるだとか、あちこちで評判が悪いけれど、今回読んで、なんとなくMr.Tall があそこで死を選んだ気持ちrが分かる気がする。
直前に彼は、もう24時間以内に、闇の帝王が出現すると預言していた。
Mr.Tall は、見たくなかったのだと思う。二分の一の確立であてもダレンが闇の帝王になるところを。何よりいずれにしろ、闇の帝王は必ず出現し、自分と親しかったバンパイヤは滅ぼされ、人間も滅びる。そこにも彼のCirque Du Freak の仲間も含まれる。直前にダレンにせがまれ将来を見て、自分の存在も見つけられなかったか、またはいても幸せではないか。人間もフリークの仲間もいない世界にいるMr.Tallが想像できるだろうか?

その

繊細なMr.Tall は、もうそんな世界を見たくなかったのだろう。父親へのせいぜいの反発もあったかもしれない。

 

終盤で亡くなった時に、Mr.tall がMr.tinyが作った二人の子供のうち、行方が知れないと言われていたエバンナの弟だったと分かって、みんな驚いた。わかると、彼の全て分かっている様子、予言や人の心が読めるらしい特性、寿命が無い様子、Cirque Du Freakにリトルピープルがいた事といい、なるほどと腑に落ちるのだけれど、その瞬間まで誰もそんなこと考えなかったほど、Mr.Tallは不思議なキャラクターだった。


Mr.tall は、エバンナと同時にオオカミのお腹から生まれたエバンナの弟だけれど、エバンナがバンパイアかバンパニーズの子供を産むという使命を持って生まれたのに対して、Mr.Tall は、使命が与えられていない。彼は自分の生きる意味を自分で見つけなければいけなかった。
そうしてさまよったMr. Tallは、エバンナと同じく人間社会に俗していない。たった一人、現在よりずっと閉鎖的だった中世以前の人間社会をさまよい、全くゼロから自分の存在意義を自分で見つけ、自分の存在場所を自分で作らなければいけなかった。時々彼を受け入れてくれる人がいても、人の人生は短い。あっという間にいなくなる。どれだけ孤独だっただろうか。

どういう経緯でフリークと出会い、Cirque Du Freak を作ったかはわからないけれど、
人間社会に入りようがない孤独なMr.Tallが、彼の能力を人が戦う武器として使うのではなく、心を合わせたのが、人間社会では浮いてしまい排除されるフリークだったというのは、そこに彼の繊細さと人間愛があふれていると同時に、破壊と混乱を好む残酷な父親とは違う道を進むことを選択した彼の強い精神の表れだ。そしてCirque Du Freak として、人間社会の中で自分自身の存在意義を作り、フリークの居場所を作った。


Mr.Tiny も名前も外見も生き方も自分の逆を選択するMr.Tallの意思を認めて、リトルピープルをつけるところに、子供に対する大人の愛情がある。

 

ところで、Mr.Tall は亡くなる直前に、30年前からラーテンが亡くなる予感があったと言った。つまりダレンが生まれた頃からだ。その頃にMr.Tiny が2度目に過去に戻って細工をしたのだろう。後のラーテンの物語の最後の事件の直後だろう。

 

Mr.Tiny が過去に戻る時、当時のMr.Tinyと鉢合わせしないのだろうか?その時の自分は、わかるのだろうか?そうしたMy.Tinyが過去を修正すると、エバンナやMr.Tall はわかるのだろうか?エバンナの口ぶりだとわかるようだけれど、どうわかるのか、想像するに少し興味深い。ある日突然、新しい過去バージョンの自分の記憶が出てくるのだろうか。

 

物語の最後で、little personになったダレンが、子供だった自分を脅してCirque Du Freakから追っ払った後に、Mr.tall を訪ねて、最初はlittle personが来た事に怪訝な顔をしたMr.tall が突然「まさかっ」と気が付く。これ、改めて1巻を読むと、Mr.tall は、最初に子供のダレンがスティーブと一緒にCirque Du Freak に行った時に、既にダレンとスティーブを知っていた。その時から、二人のうちどちらかが闇の帝王になる事、Mr.Tinyの操作で、Mr.Crepsleyが、ダレンをhalf-vampireにして弟子にする事、その先Mr.Crepsleyが死ぬ運命であろう事、すべてお見通しだった。Mr.Tall にとっても大きな運命の転換点だ。

 

そこにlittle Person になったダレンが現れた。そりゃ驚く。そして想像したのだろう。ダレンが闇の帝王にならなかった。けれど死んだとはいえ、Mr.Tiny がダレンをlittle person に作り替えたという事は、スティーブが勝ってダレンが負けて見捨てられた訳ではない。Mr.Tiny が自発的にダレンをlittle person に作り替えて過去に戻してダレンの人生を救おうとするなど考えられないから、エバンナの仕業だと思うのは当然。ただエバンナがダレンの人生を救おうと考える程だから、ダレンはエバンナの心を動かすだけの相当の事をやったのだろう。と考えると、Mr.tinyが散々細工して、2本の道に絞られて必ず闇の帝王が出現すると思われた未来が、そうならなかった事が推察できる。繊細なMr.Tall は、必ず闇の帝王が出現すると思われた未来が、そうならないであろう感動に、Mr.Tinyの計画から救われるダレンとMr.Crespley・・・Vampires とVampanezes の知り合いたち、もちろん自分とCirque Du Freakの未来・・、誰もの幸せを祈らずにはいられなかった。ただ唯一今後欠けるのは、これから自分に深く関わると思っていたダレンが自分と関わらなくなった事だけ。
私は扉を閉じた繊細なMr.Tallが、その夜感動でむせび泣きをしていても、驚かない。何しろダレンはMr.tinyの計画に逆らい自分の運命を自分で変えるという、Mr.Tallには出来ない事をやったのだから。

 

今度デモナータがあちらでテレビシリーズになるらしいけれど、ダレンシャンももう一度元の世界観に沿って映画化して欲しいな。渡辺謙のMr.Tallは勘弁。

 

久々にダレンシャンを読んで、トリビアを考えてみた

大人になって久々にダレンシャンを読み返しています。初読と変わらず楽しめますね。 とはいえ大人の楽しみで、トリビアを色々考えてみました。

 

■ダレンシャンのバンパイアの起源は何か

ダレンシャンのバンパイアは、いわゆる人の血を求める吸血鬼というより、神話の先頭集団のイメージだ。

北欧神話ベルセルク、英語ではバーサーカ的なイメージがする。オオカミの血縁と思っているようだから、ウールヴヘジンか。ケルト神話の戦士もイメージが合う。
長めの寿命、身体能力の高さと回復能力の高さ、高潔を求める精神性
こうした時代に神話的スーパーパワー(ミスター・タイニー)に特別に高い身体能力を望、与えた戦闘特化集団がいたと考えるのは違和感がない。その代償が、夜しか動けない。それがダレンシャンのバンパイアではないだろうか。
ダレンシャンのバンパイアが信じる、高潔なバンパイアの魂が死後に行きつく楽園のイメージも、ケルト神話の常若の楽園(ティル・ナ・ノーグ)から来ているように思える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B0

 

 

■バンパイアマウンテンはどこにあるのか

北の方にあり、何日も人里離れた森や荒れ地を歩いてたどり着くというバンパイアマウンテン。

イギリスやヨーロッパや土地勘があるから、どこにあるかを想像してみた。

北というと、
アイルランドのSlieve Bloom Mountains
イギリススコットランドのhigh land あたりが思い浮かぶけれど、森が大きいのがが、イギリスのイメージではない気がする。

北欧の北の方も、森もないしそこまでの山もない。ヨーロッパは開発されて森が少ない。深い森と山というと、ロシアあたりだろうか?とも思ったけれど、バンパイアマウンテンで皆、エールビールを飲んでいる。というから、やはりアイルランドかイギリスだね。恐らくバンパイア達は人間の道を避けたルートを通るから、実はダレン達が歩いていたすぐ近くに、高速道路が通っていたとか?

 

 

■バンパイアたちはどうやって海を渡るのか?

バンパイア達は世界中を徘徊している。イギリス人のラーテンも、フランスやドイツはもちろん、オーストラリアやニューヨークに滞在をしたり、世界中を自由に移動している。陸続きのヨーロッパなら山でも越えりゃ国境突破だけれど、イギリスとヨーロッパだとか、アイルランドとイギリスだとか、ヨーロッパとアメリカだとか、海があるところをどうやって渡ったのか、さりげに疑問。

船で渡るにも飛行機で渡るにも、パスポートは持っていなければ乗船できない。考えたのは、
1偽造パスポートを作っている。ラーテン一人ならともかく、バンパイヤ皆となると、そりゃ大したものだ。
2空港のセキュリティをふりっとで通過する。こちらの方があり得そう。この人達写真に映らないなら監視カメラにも映らない。だけれど、飛行機に乗る時に再度パスポート確認される。すると1と2か。

 


■バンパイア達は何語を話しているのか

私も色々な国に滞在してきているから疑問に思うのだけれど、ダレンシャンのバンパイア達は何語を話しているのか?バンパイア達は出身国は色々ありそうで、日本人のprinceがいた事もある。

百歩譲って、共通語は英語で、他国出身のバンパイアは英語を覚えるとする。でもイギリス人のラーテンも、フランスで彼女を作ったり、第二次世界大戦前に、ドイツでヒットラーの一味と話をしたり、彼は文盲だけれど、語学は別に勉強をしたとか?う~ん。

 

 

 

ダレン・シャンは大人のキャラが良い

この夏は久々じっくりダレンシャンを読み直し。

 

私は実はこっそりデモナータのボロボロになって戦う大人たちが、人生の師匠だと主思って思っている。ダレン・シャン氏が描く(戦う)大人が、良いのね。久々ダレン・シャンの方を読み直して、改めてこれからの大人として生き方の指針を多く学びました。

 

そもそも人間世界とは縁を切ったバンパイアだから、

気持ちよい程、他人の目を気にしない

「人にどう思われるか」を全く気にせず、
100%自分の感性、信条、価値観、論理寛に従って生きている人達の見た目の個性的なこと。


ラーテン
オレンジの髪、ほほに傷、赤い服、足はサンダル

 

パンチャは、
髪は緑色 らんぼうに縫い合わせた紫色の獣の革と紫のマント
中背のがっしりした体格で目はかなり大きい 足ははだし。
あかとほこりにまみれて、狼のようなにおいがする。
鼻をすすって、左指の関節で鼻をぬぐい、指で弾き飛ばす。
ラーテンの物語でわかるが、髪が緑色なのは長年鼻水を髪にこすりつけていたから。何をするにも自分なりのおきてがある。自分なりの理屈がある。プライドがある。プライドを支えるだけの、強さがある。強さを得るだけの思考がある。

 

レディーエバンナもスゴイ。
こんなに醜くてだらしのない女性は初めてだ。
背wは低い。長い黒髪はもつれにもつれ、筋肉はぴくぴくと動き、足は太くて短い。
耳はぴんととんがっていて、鼻は小さく、上くちびるの上に小さなあながふたつあいているようにしか見えない。目は補足、近くで見ると片方の目は茶色。もう片方は緑色。
しかも毛むくじゃら。腕も足も黒々とした毛におおわれて、眉毛はおおきな毛虫の用。
耳や鼻のあなからも、もじゃもじゃ怪我のびている。
あごにも立派なひげがのびていて、どうどうたる口ひげもある。
服装は、なんとロープをまきつけている。腰から下と胸にがんじょうそうな
黄色いロープをまき、腕と足と腹はむきだしだ。

この人は外見を自由に変えられて、背の高い美女にもなれるけれど、普段この外見を好んでいる。

 

よくこんな人物造形ができるものだと感心したけれど、この後のデモナータを読むと、まだかわいいものだった。ただ大人な理由は、外見の個性が強いだけではなくて、

 

 

自分の戦いをわかっている
自分の使命、自分が何を戦うべきかをわかっている。だから判断に迷いがなく合理的。
自己受容をしていて、自分に言い訳もしない。やるべき仕事はきっちりやる。

 

目的達成のために冷静に判断ができる
最終目的のために、無駄なリスクは取らないが、必要な場面では、命を惜しまず全神経を集中し全力で戦える。

 

社交的でチームワーカー
クセはあるけれど気難しくはない。冗談や皮肉の応酬も得意。個としてだけではなく、集団でも行動できる戦える。

 

大人として、こうありたい、の見本ではないですか。

 

私はラーテンがダレンに忠告した

「よいかダレン、スティーブのような怪物は、憎んでもあわれんでもいかん。ひたすらおそれるのだ。滅ぼされる前に、全力をつくしてほろぼさねばならん。」

というアドバイスが好きだ。感情に囚われる事がどれだけ失敗を招くか、経験ある大人ならではの言葉ではないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会経験を積んで久々ダレンシャンを読み直し。やはり深い!

中学1年生の甥に夏休みの読書としてダレンシャンを勧めたら、自分も読みたくなって久々に読み返している。いや大人として読んでも深い。
ちょうど4巻から6巻のバンパイアマウンテン編を読み返したところだが、主人公のダレンシャンの思考が成長してきて、ぐっと読みごたえが出てくる。

で今回特に深く考えたのが、カーダ・スモルトというキャラだ。


ダレンシャンの世界のバンパイアは不死身ではなく人間の10年で1年程度と年を取るのが遅いだけ。肉体も強く、動きも早く、傷がいえるのも早いが、もちろん大けがをすれば死ぬ。バンパイアは、自らを極限に追い込んで、知力体力や気力を鍛える。衰えれば戦って死を選ぶ。肉体の高齢者がほとんどいない。精神力、高潔な心、忠誠心、何より名誉を重んじる。

中世戦士の価値観です。

学校教育も無かった時代だ。(ラーテンも文盲だった事が後のラーテン物語でわかる)

 

一方近代生まれのカーダ(2000年頃で120歳)は、人道の概念がある。命を粗末にする慣習や考えを無駄だと考えている。そして止めさせたいと本気で考えている。学校教育を受け、論理的で頭脳明晰。服装は、夜の生き物ながら(昼間を連想させる)明るい青い服。力自慢はせず普段は戦いを避けるが、いざという時は強い。明らかに資質が高い。


当然バンパイヤ集団の中では異質だ。本人も変わり者を自認している。カーダは、長年敵対してきたバンパニーズと和解をしたく、長年バンパニーズと接触してきた。
このバンパニーズとは、現在のバンパイヤが人の血を飲むとき少しだけ飲んで人を殺さないのに対して、必ず殺す集団だ。そもそも大昔はバンパイヤは血を飲むときに人を殺していたが、社会が出来るにつれ、難しくなり、血を飲むとき人を殺さない規則を作った。その時に、時代の変化に反発して独立した、更に古い価値観を持つ集団だ。


バンパニーズとコミュニケーションがあったカーダは、ミスタータイニーがバンパニーズの元を訪れて、バンパニーズ大王がこの世にあらわれたと告げたから探し出せ。といった事を知った。だからより熱心にバンパイヤとバンパニーズをまとめようとした。
ところが6か月前、バンパニーズ大王が見つかったというニュースを聞いた。

カーダはここで絶望して、バンパイヤとバンパニーズをまとめる事を諦めて、バンパニーズに血の石(血の石を遣えば全てのバンパイヤの居場所がわかる)を渡してバンパイヤをバンパニーズの支配下に入れて、絶滅を免れようと考えた。


冷静に第三者目線で考えると、この発想は少し突飛すぎる。ここはバンパイヤと徹底議論すべきだってでしょう。ここにミスタータイニーの操作があるとして、でも一方で現実の社会組織では、こういう事あるあるだ。


カーダの問題は、明らかに、重大ニュースを、バンパイヤの誰にも相談しなかった事だ。そして独断で対応を決めた。彼は、相談をすればバンパイヤが先にバンパニーズを滅ぼそうと戦いをしかけるだろうから、と言っていたが、本来はその戦いを止めさせる事に、バンパイヤ達に人生をかけてでも説得すべきだった。
それができなかったところに、カーダが、長年組織で孤立してきて、いかに孤独だったか、を語っているともいえるが。

 

ただ私もつらつら会社組織を思い起こすと、昔はこういう人、ちょこちょこいたなと思う。昔はというのは、最近はこの類は先にメンタル問題宣言をしがち。私のイメージだと、リーマンショック前くらいまでは、地味に仕事が出来て洞察が深くて自他ともに認める変わり者、という人達が少なからずいた。で、少なからずが、どこかで自爆して会社を辞めていった。

 

日本の普通の会社で、頭が良いというのが、日本の受験勉強的記憶力が良いだとか、計算力が高いだとか、コンサル的口が立つとか(もうAIに取って変わられる資質だが)は、わかりやすく好かれる。でも本当の頭が良い資質である、「思考が深く洞察力がある」というがやっかいだ。「思考が深く洞察力がある」でない人は、「思考が深く洞察力がある」を理解できない。会社組織では連帯感が欠かせないけれど、「思考が深く洞察力がある」人とそうでない人は、やはり異質で交わらない。
交わっている場合は、「思考が深く洞察力がある」人が自分の能力を隠して、アホなふりしてカジュアルに接している場合がほとんど。「思考が深く洞察力がある」はたいてい仕事力が高いけれど、だから組織として仕事が苦手。
昭和の昔の(戦前教育世代)のリーダーは懐が深く、そうした人たちにも居場所を提供できたが、平成の日本の会社は、人間力あるリーダーもいないから、異質の「思考が深く洞察力がある」人は、「仕事力」は便利に使われる一方、「思考と洞察力」は無視され評価されない。
居場所を作るために普段はアホなふりしている「思考が深く洞察力がある」人が、「思考と洞察力」の力を見せると、異質を感じるらしく、凄まじい妬みひがみ嫉みで、その人の否定にかかる。そうして溝が深まり、「思考が深く洞察力がある」人が自爆しやすい土壌がいっちょ出来上がり。

私は会社員として若手の頃、こうした人たちと話をするのが好きだった。
まだ若手でわかっていないので色々会社に疑問や批判が多いころ、こうしたタイプの先輩たちは、皆独自の考えを持ち、見事な会社批判を繰り広げて、話を盛り上げる。そりゃ一緒に飲むのは楽しかった。けれども、なんだかんだと一人また一人と、転がるように自滅していった。

 

という経験を重ね合わせながら、ダレンシャンのカーダを読むと、カーダがバンパニーズの重大ニュースを知っても、バンパイヤの仲間に話せなくなっていた理由が分かる気がする。周囲のバンパイヤに理解されない受け入れられない事以上に、カーダが常日頃周囲のバンパイヤの問題を目にしては批判し否定しているから、その否定が自己暗示となって、自分で自己疎外を強化し、いざという時に重要な問題を心を割って相談できない心理状態になっていったお決まりパターンが手に取るように感じられる。

 


そこから私自身の教訓として、批判する事批判できる事は大切だけれど、それがアフォメーションになって自己疎外に走らないよう、自分の心により注意を払おう。ダレンシャンはやはり深い。

社会経験を積んで久々ダレンシャンを読み直し。やはり深い!

中学1年生の甥に夏休みの読書としてダレンシャンを勧めたら、自分も読みたくなって久々に読み返している。いや大人として読んでも深い。
ちょうど4巻から6巻のバンパイアマウンテン編を読み返したところだが、主人公のダレンシャンの思考が成長してきて、ぐっと読みごたえが出てくる。

で今回特に深く考えたのが、カーダ・スモルトというキャラだ。


ダレンシャンの世界のバンパイアは不死身ではなく人間の10年で1年程度と年を取るのが遅いだけ。肉体も強く、動きも早く、傷がいえるのも早いが、もちろん大けがをすれば死ぬ。バンパイアは、自らを極限に追い込んで、知力体力や気力を鍛える。衰えれば戦って死を選ぶ。肉体の高齢者がほとんどいない。精神力、高潔な心、忠誠心、何より名誉を重んじる。

中世戦士の価値観です。

学校教育も無かった時代だ。(ラーテンも文盲だった事が後のラーテン物語でわかる)

 

一方近代生まれのカーダ(2000年頃で120歳)は、人道の概念がある。命を粗末にする慣習や考えを無駄だと考えている。そして止めさせたいと本気で考えている。学校教育を受け、論理的で頭脳明晰。服装は、夜の生き物ながら(昼間を連想させる)明るい青い服。力自慢はせず普段は戦いを避けるが、いざという時は強い。明らかに資質が高い。


当然バンパイヤ集団の中では異質だ。本人も変わり者を自認している。カーダは、長年敵対してきたバンパニーズと和解をしたく、長年バンパニーズと接触してきた。
このバンパニーズとは、現在のバンパイヤが人の血を飲むとき少しだけ飲んで人を殺さないのに対して、必ず殺す集団だ。そもそも大昔はバンパイヤは血を飲むときに人を殺していたが、社会が出来るにつれ、難しくなり、血を飲むとき人を殺さない規則を作った。その時に、時代の変化に反発して独立した、更に古い価値観を持つ集団だ。


バンパニーズとコミュニケーションがあったカーダは、ミスタータイニーがバンパニーズの元を訪れて、バンパニーズ大王がこの世にあらわれたと告げたから探し出せ。といった事を知った。だからより熱心にバンパイヤとバンパニーズをまとめようとした。
ところが6か月前、バンパニーズ大王が見つかったというニュースを聞いた。

カーダはここで絶望して、バンパイヤとバンパニーズをまとめる事を諦めて、バンパニーズに血の石(血の石を遣えば全てのバンパイヤの居場所がわかる)を渡してバンパイヤをバンパニーズの支配下に入れて、絶滅を免れようと考えた。


冷静に第三者目線で考えると、この発想は少し突飛すぎる。ここはバンパイヤと徹底議論すべきだってでしょう。ここにミスタータイニーの操作があるとして、でも一方で現実の社会組織では、こういう事あるあるだ。


カーダの問題は、明らかに、重大ニュースを、バンパイヤの誰にも相談しなかった事だ。そして独断で対応を決めた。彼は、相談をすればバンパイヤが先にバンパニーズを滅ぼそうと戦いをしかけるだろうから、と言っていたが、本来はその戦いを止めさせる事に、バンパイヤ達に人生をかけてでも説得すべきだった。
それができなかったところに、カーダが、長年組織で孤立してきて、いかに孤独だったか、を語っているともいえるが。

 

ただ私もつらつら会社組織を思い起こすと、昔はこういう人、ちょこちょこいたなと思う。昔はというのは、最近はこの類は先にメンタル問題宣言をしがち。私のイメージだと、リーマンショック前くらいまでは、地味に仕事が出来て洞察が深くて自他ともに認める変わり者、という人達が少なからずいた。で、少なからずが、どこかで自爆して会社を辞めていった。

 

日本の普通の会社で、頭が良いというのが、日本の受験勉強的記憶力が良いだとか、計算力が高いだとか、コンサル的口が立つとか(もうAIに取って変わられる資質だが)は、わかりやすく好かれる。でも本当の頭が良い資質である、「思考が深く洞察力がある」というがやっかいだ。「思考が深く洞察力がある」でない人は、「思考が深く洞察力がある」を理解できない。会社組織では連帯感が欠かせないけれど、「思考が深く洞察力がある」人とそうでない人は、やはり異質で交わらない。
交わっている場合は、「思考が深く洞察力がある」人が自分の能力を隠して、アホなふりしてカジュアルに接している場合がほとんど。「思考が深く洞察力がある」はたいてい仕事力が高いけれど、だから組織として仕事が苦手。
昭和の昔の(戦前教育世代)のリーダーは懐が深く、そうした人たちにも居場所を提供できたが、平成の日本の会社は、人間力あるリーダーもいないから、異質の「思考が深く洞察力がある」人は、「仕事力」は便利に使われる一方、「思考と洞察力」は無視され評価されない。
居場所を作るために普段はアホなふりしている「思考が深く洞察力がある」人が、「思考と洞察力」の力を見せると、異質を感じるらしく、凄まじい妬みひがみ嫉みで、その人の否定にかかる。そうして溝が深まり、「思考が深く洞察力がある」人が自爆しやすい土壌がいっちょ出来上がり。

私は会社員として若手の頃、こうした人たちと話をするのが好きだった。
まだ若手でわかっていないので色々会社に疑問や批判が多いころ、こうしたタイプの先輩たちは、皆独自の考えを持ち、見事な会社批判を繰り広げて、話を盛り上げる。そりゃ一緒に飲むのは楽しかった。けれども、なんだかんだと一人また一人と、転がるように自滅していった。

 

という経験を重ね合わせながら、ダレンシャンのカーダを読むと、カーダがバンパニーズの重大ニュースを知っても、バンパイヤの仲間に話せなくなっていた理由が分かる気がする。周囲のバンパイヤに理解されない受け入れられない事以上に、カーダが常日頃周囲のバンパイヤの問題を目にしては批判し否定しているから、その否定が自己暗示となって、自分で自己疎外を強化し、いざという時に重要な問題を心を割って相談できない心理状態になっていったお決まりパターンが手に取るように感じられる。

 


そこから私自身の教訓として、批判する事批判できる事は大切だけれど、それがアフォメーションになって自己疎外に走らないよう、自分の心により注意を払おう。ダレンシャンはやはり深い。

医者は人間的に温かみがある医者じゃなきゃヤダ。

7回目のコロナワクチンを受けておいた。
無料接種がラストで3月までだったから。
高齢者という年齢じゃないけれど、基礎疾患保持者に入るので7回目。

 

今回近所に昔からあった病院がリニューアルしたというからそこに行ってみたら、
若い医者と若い看護婦若い受付たち。若い医者は、会話無で即注射。
若い受付の女性がまた来てくださいと言うけれど、あと10年は行かないかなー。

 

日本で患者数が2000人未満というレアな病気保持者の贅沢で、昔の人間的な温かみと包容力がある医者じゃなきゃ嫌。(という贅沢が大学病院でもまかり通る。)
人間的に安心できる医者はたいていもう80歳過ぎだけれど、そうした先生が現役でいらっしゃる間は、誰が人の顔も見ない若い意識高い系医者に行くかっつーに。